92118 古代哲学研究
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選 |
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秋学期 |
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2 |
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1・2 |
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坂下 浩司 |
講義題目 | アリストテレスにおける存在論・認識論および意味論 ──『命題論(De Interpretatione)』第1章〜第8章を中心に── |
開講キャンパス | |
講義内容 | プラトン、アリストテレスをはじめとする古代ギリシャの哲学について、神の概念、存在論、認識論、行為論、倫理学など、幅広い領域にわたる問題群を射程に収め、代表的な議論をとりあげ、詳細な分析を加える。また、必要に応じ、中世哲学との関連、ストア哲学、新プラトン主義との関わりにも触れ、古代から中世に至る哲学思想の変遷とその理論的必然性についても、あわせて考察する。 |
講義計画 | 哲学は言葉を通じての事柄(存在)の探求ですから、言葉がどのようにして事柄(存在)と関わるのかを反省することはとても大切なことです。この講義では、言葉と事柄(存在)の関わりを、「事柄」、「それが心(魂)の中で認識された状態」「心のその状態を表す言葉」「心のその状態と事柄の関係としての類似」といった理論装置を使って考察した、アリストテレスの『命題論』第1章から第8章までを、ゆっくり詳しく読み分析していきます。 西洋中世でもこの書物は大変重視されており、多くの著名な哲学者・神学者は『命題論』に取り組み『注解』を残しています。幸いトマスとオッカムの『命題論注解』の一部が邦訳されていますので、これを皆さんに読んでいただき、それもふまえて、講師が、ギリシア語原文のニュアンス、古代の解釈、現代の解釈(Ackrill, Charles, Modrakなど)を紹介し、講師と受講者の共同探求を目指します。 さらに講義では、アリストテレスにおける「存在の意味論」(言葉を通じての存在の意味の了解の方式の理論)とでも言うべきものを探求する手がかりを得ようとしています。『命題論』の意味論が「本質」(「形相」「類」「種」「種差」など)を中心とするものであるとすると、類ではなく本質をもたない多義的な「存在」はそういった「本質の意味論」にはうまく当てはまらないことが予想されます。その場合、存在の意味論を本質の意味論と類同化するのか、それとも、類比的なものとするのか、あるいは、類比的だとするとしても、類比の根拠を何に求めるのか、以上をどう考えることが真にアリストテレス的であるのか、こういったことも念頭において読解作業をおこなっていきます。 そのため、序論として、『形而上学』B巻第3章における「存在が類でありえない」ことの論証を、そして、それを通俗的に分かりやすくした新プラトン主義者・ポルピュリオスの『エイサゴーゲー』での説明(カテゴリーを類の限界であると断定してさらに上位の存在は類ではありえないとする分かりやすいが安易でありプラトニストも納得しないであろう説明)の無効さ、ポルピュリオス的説明が無効であるからこそ、アリストテレスの『形而上学』B巻第3章の困難な論証があること、しかしポルピュリオスにも「類は種差を現実態においては含まないが可能態においては含む」といった興味深い考えがあることなどを説明しておきます。 |
評価方法 | 毎回の出席と期末レポート。 |
テキスト | プリント中心。 |
その他 |