6月から9月にかけて、エル・パラシオ遺跡第三次発掘調査を実施した。平行して第二次発掘調査の出土遺物の分析、図面作成を行った。 エル・パラシオ遺跡はワリ帝国(後600-1000年)の地方行政センターと考えられている。2008年から発掘調査を開始し、出土遺物の綿密な分析、図面作成を進めてきた。その結果、同遺跡の建築の特徴はワリ文化のものでありながら、出土土器の大半が在地のカハマルカ文化であり、ワリ文化の土器は少数であることが明らかになっている。それはおそらくワリ文化の土器は支配者層だけが用いることのできる特権的なモノであり、また民族集団の指標でもあったからであると考えられる。
また分析の結果、在地のカハマルカ文化の土器とワリ文化の土器の特徴が混じり合った例も確認できた。ワリの支配下においてカハマルカの人々がどのような対応を取ったのかを考えるヒントとなる。さらに、カハマルカ中期から後期にかけてのカオリン土器の編年を精緻化し、非カオリン土器のタイプ分類も行った。その結果、カハマルカからペルー北海岸に下りるメインルートであるヘケテペケ川流域に同時期の多くの遺跡が分布するという傾向が浮かびあがった。多くは前の時代の利用された痕跡のない場所に位置し、ワリ帝国崩壊後に利用された痕跡もない。従って、ワリ帝国の支配下で戦略的に移動させられた集団が利用したと考えられる。
獣骨は専門家に分析を依頼した。金属器は保存処理を進めている途中である。また石器、人骨については未分析である。今後土器分析によって決定した時期を基に、各種の遺物の通時的変化を把握する予定である。
エル・パラシオ遺跡はペルー北部におけるワリ期の社会動態を解明する上で極めて重要な遺跡であり、周辺地域での調査立案の基礎ともなっている。今後、出土遺物の分析結果を基に、研究の新たな展開をはかる必要がある。 |
これまでの研究内容について、ウィーンで開催された第54回国際アメリカニスト会議(7月)、リマで開催された国際シンポジウム(8月)、国立民族学博物館で開催された古代アメリカ学会(12月)でそれぞれ口頭発表した。 |
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