【研究経過】
本研究の目的は、清末から民国初期を対象に、学校教育における儒学伝授政策の変遷とその要因を、中央政府と地方教育界それぞれの利害にもとづく対抗関係という側面から解明することである。本研究では、とくに清末の読経政策とその変遷について、次の3点について考察を加えた。まず、近代学校制度の導入以前における経書学習のあり方と比較した場合、奏定学堂章程に規定されたそれにはどのような特徴があるか。次に、その経書学習のあり方に対して地方教育界はどのような反応を示したか。最後に、清朝はその後しばしば章程を改訂するが、そのなかで経書学習のあり方にはどのような変化が見られたか、である。上述の研究目的を達成するため、文献史料に基づくオーソドックスな歴史学的手法をとった。 |
【研究結果】 まず、近代学校制度の導入以前における経書学習のあり方と比較した場合、奏定学堂章程に規定されたそれにはどのような特徴があるかについて言えば、大きな変化は、教授方法における講釈の重視である。すなわち、従来の経書学習が暗誦メインであったのに対し、奏定学堂章程では講釈を最も重視し、暗誦は部分的でよいとされていた。
次に、奏定学堂章程に示された経書学習のあり方に対する教育界の反応については、地方教育界はこれに批判的であり、経書を抜粋した修身教科書を編纂して、修身科で儒教道徳を注入することを求めていた。また、天津を視察した学部視学官も、小学堂において経書学習が困難であることを認識し、これを学部に報告していた。さらに学部諮議官からも、経書学習について賛否両方の意見が学部に提出された。
最後に、一九〇九年・一九一〇年と学部は相次いで学制を改訂したが、そのなかで経書学習のあり方にはどのような変化が見られたかについては、読むべき経書の分量や学習時間は一九〇九年・一九一〇年と徐々に減少したものの、教授方法は、奏定学堂章程においては講釈を最も重視し、暗唱は部分的でよいとされたのに対し、一九〇九年の改訂においては、学習成果の観点から講釈・暗誦・回講・黙写を厳格に行うよう規定された。これは一九一〇年の改訂においても踏襲されている。
以上の成果をまとめ、すでに論文を執筆・寄稿した。本論文は、アジア教育史学会編『アジア教育史学の開拓』(東洋書院、2013年5月刊行予定)に掲載予定である。
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