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2013年度 パッヘ研究奨励金T-A-2(特定研究助成・一般)研究成果報告書 |
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氏名 |
石原 美奈子 |
所属 |
人文学部人類文化学科 |
研究課題 |
エチオピアにおけるキリスト教徒とムスリムの「共生」の論理・メカニズムに関する実証的研究 |
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研究実績の概要 |
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エチオピアの人口の3分の1を占めるムスリムは、20世紀にエチオピアが近代国家として歩み始めて以降、キリスト教徒優位の政治体制が続くなかで、総じてキリスト教徒と平和的に共生してきた。1991年政変以降の現EPRDF政権下で宗教活動が事実上「解禁」され、医療・教育・福祉などの副次的分野を伴いながらさまざまな宗教(宗派・宗教組織)が目に見える形で活動を活発化させている。ムスリムの場合、地域・民族間で温度差はあるものの、外来のイスラーム復興主義の思想的影響を受けた「ワハビーヤ」と呼ばれる人々が独自のモスクや教育施設を建設したり、土着の民間信仰に則った儀礼の放棄を訴えたり、エチオピアのムスリムの間に根付く聖者崇拝やスーフィズム(イスラーム神秘主義)の活動を妨害したりする動きが都市部のみならず農村部でも目立ってきている。そうした宗教内での緊張関係は、キリスト教徒との対立にまで発展し、政府当局はこの対立を外来の急進派イスラーム主義の影響によるものであるとして、それに対抗する宗教イデオロギー、すなわち宗教間の共生を志向する「スーフィーヤ」を支持し始めた。これに対して、主に現政権に対して不満を抱く都市部在住のムスリム青年たちが各地で抗議集会を開くなどして宗教への国家の介入を批判した。政府当局もそれに対抗する形で、スーフィズムや聖者崇拝を支持してきた人々が組織した「アハル・アッスンナ・ワ・ルジャマア(ASWJ)」を支持し、ローカルなレベルでムスリム急進派の活動(宣教・モスク建設・教育など)を制限する役割を与えた。
私は、2013年12月〜2014年1月にかけて2週間ほどエチオピア南西部のジンマ地方で調査を行い、ティジャーニーヤ(18世紀北西アフリカで設立されたスーフィー組織の一つ)
の現在の諸活動(儀礼・教育・メンバーの社会的役割)について聞き取り調査を実施し、ジンマ地方のASWJの幹部の多くがティジャーニーヤであること、ティジャーニーヤの宗教指導者のなかで若い世代の人々が他地域(エチオピア東部)の「スーフィーヤ」との交流を通して教育活動に力を入れ始めていること、などの事実がわかった。
本調査の成果は、2014年4月20日開催の日本ナイル・エチオピア学会第23回学術大会(於広島市まちづくり市民交流プラザ)において口頭で発表した。また現在、本調査の成果を含めた論文と著書を執筆中である。
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「雑誌」の部 |
「図書」の部 |
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論文題目 |
「『スーフィーヤ』の形成
―エチオピア南西部ジンマ県の事例―」(仮)
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書名 |
『愛と共生のイスラーム―ティジャーニー導師アルファキー・アフマド・ウマルと西部オロモ社会―』(仮) |
雑誌名 |
『日本中東学会年報』?
『Nilo-Ethiopian Studies』?
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論文名 |
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著者名 |
石原 美奈子 |
著者名 |
石原 美奈子 |
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