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2つの方面にわたっての研究を行った。
一つ目は、『源氏物語』が、学問の形成と日本人の教養にどのような影響を与えたかの研究である。特に『源氏物語』の注釈書である『河海抄』が、どのように享受され、『河海抄』を読むことによって、人々がどのような知識を得ていたか、あるいは得ようとしていたかを分析した。『源氏物語』享受にかかわる資料を収集し、『河海抄』についてのデータを整理した。2013年度中にはこの分野での研究成果を発表するには至らなかったが、2014年度中には研究成果をまとめて発表する予定である。
もう一つは、医事説話集の研究である。日本では古くから、中国で出版された医事書を輸入し学問の対象としてきた。その中で作られたのが医事説話集である。これらは、学問を材料として作られた文学作品ということができる。中国の医事書の記載がどのように文学化されていったのかを分析して、医学という学問が文学に与えた影響を考えた。医事にかかわる資料を収集し、鎌倉時代成立と思われる『医談抄』、『医家千字文註』の注釈的研究を進めた。
今年度中に発表できたのは、『医談抄』の、出典となった中国医書との比較した場合に誤脱と思われる箇所についての研究である。
現在、『医談抄』の写本は成立からはるかに隔たる江戸時代後期の写本しか存在しない。この本文が、どこまで鎌倉時代の面影を残すのかを考察することは研究の基礎となるが、この研究を通じて、現存本文の誤脱が、編者自身によると思われるものが複数存在し、したがって現存本文がかなり原本の姿を残していると思われることがわかった。
また、中国医書に照らすと、編者による出典の誤読と見られるものが少なからずあり、それは単なるケアレアミスと思われるものもあるが、編者の漢文読解力の不足に由来する例もいくつかあり、鎌倉時代の医家の漢文読解力の程度が推定できた。さらに言えば、医学的な理解においても、中国医書の理解が不足していると見られる例もあり、鎌倉時代医家の医家としての能力の限界を見ることもできる。
このような研究が平安鎌倉時代の宮廷医全般にどの程度あてはまるのかを明らかにすることは今後の課題である。
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