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本研究は第二次世界大戦後、とりわけ1944年8月26日オルドナンスの成立から1986年新聞法の成立までを時代区分として、フランスにおける国家とジャーナリズムの重層的な関係性を相互補完的図式のなかで捉え直し、同国の言論を基礎づける諸要因を把握することを目的とした。しかし研究を進めるなかで、1944年8月26日オルドナンスそれ自体の成立事情が実に複雑な様相を呈していることが判明した。したがって大戦間期からヴィシー占領期、そして解放期に至る法制度の変遷を連続性のなかで再検討することにした。
その研究結果として以下のことを明らかにすることができた。第一に戦後フランスの新聞・雑誌の再編成は複数のアクターの利害が錯綜するなかで行われたということである。簡潔にいえば、国内レジスタンスとアルジェのドゴール臨時政府の間の対立、さらには国内レジスタンス内での対立である。それらを整理しながら、第二に国内レジスタンスで重要な役割を果たしたフランシスク・ゲイに焦点を当て、彼の新聞法制がいかなるものであったのかを理解した。ゲイの新聞法成案は戦前のブルム案の思想を引き継いだものであるが、それが戦後も大きな影響を及ぼしたことを実証した。それはとくに臨時情報相ピエール=アンリ・ティジャンが主導となって起草された「カイエ・ブルー」のうちに色濃く反映されている。したがって第三にはこの「カイエ・ブルー」の内容を紹介すると同時に分析した。そのうえで「カイエ・ブルー」によって戦後数年のジャーナリズムの法制度がどれほど規定され、あるいはどの点で規定されなかったのかを考察した。こうした研究結果を通じて、今後、取り組むべき課題として、1.法制度が実際に各出版物に与えた影響の程度、2.情報省をはじめとする各種組織との関係性、3.フランス史のなかにおけるヴィシー期と戦後の連続性の問題があることを提出することができた。
こうした研究成果は次頁にあるように『南山大学 ヨーロッパ研究センター報』にて「戦後フランスにおける情報秩序の再構築に関する予備考察(1)―「カイエ・ブルー」に着目して」と題する論文として公表した。「予備考察」とあるように、今後は上記の課題に着手しながら各論を仕上げながら、最終的にはそれらを総合的な論説へと纏めていきたい。また、学会・研究会においても当該研究結果といえる内容を公表した。具体的には日本比較政治学会、フランス経済史研究会、関西フランス史研究会をその場として、学術的な意見交換を行った。
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