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中国においては詩話と文話はいずれも重要な文学ジャンルである。「詩話」(漢詩にまつわる評論)は宋の欧陽修が名付けて以来長い歴史を有するが、最初に著された「文話」(漢文にまつわる評論)は実は中国人の著書ではなく、江戸文人斎藤正謙の『拙堂文話』八巻(文政十三年、1830)ならびに『続文話』八巻(天保七年、1836)である。斎藤正謙のこれらの文献は常に中国で重視され、その結論は今でもよく引用される。例えば、中国の国宝「清明上河図」(宋・張択端作)に何人の人物が描かれているかという謎に対し、初めて1643人という具体的な数字を示したのは『拙堂文話』である。この結果は2010年上海万博中国館のスクリーン「清明上河図」にも生かされた。これは今のところ事実としては知られているものの、専門的な研究は殆どない。本研究は『拙堂文話』の中国への流布過程を全面的に解明した上で、その東アジア漢字文化圏における歴史的な意義を再評価しようと考えている。
上記の研究作業において、『拙堂文話』と『続文話』の本文および日本側の関係資料についての検討は大体終わったが、中国側の関係資料は検索手段の制限があり一部入手困難なので、中国への流布過程の全容を徹底的に究明できた段階には未だに至っていない。それでこのいわゆる「逆輸入」の課題に関連性がある別のテーマにも着手し、宋代文人楊億の『楊文公談苑』に所収の入宋僧寂照の漢詩作品を取り上げ、「日本漢詩西伝挙隅――以『楊文公談苑』為例」(「日本漢詩の中国への流布について――『楊文公談苑』を例として」)と題し、2013年10月中国四川師範大学と西華師範大学共催の「東方詩話学会第8回国際学術研究発表大会」で報告した。当論文は香港大学の審査委員(東方詩話学会会長)の査読を受けて『西華師範大学学報』に推薦され、2014年第1号に掲載されることになった。雑誌が届き次第提出する予定である。
当然ながら本テーマの研究を引き続き行い、2014年度内に決着をつけるべく努力する所存である。
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