キリスト教関係逐次刊行物
明治・大正・昭和期のカトリック逐次刊行物については、『南山大学カトリック文庫通信:カトリコス』No.17(2002),No.18(2003)を参照されたい。ここでは、2013年に本学で開催したカトリック文庫20周年の座談会で話題となった3タイトル『聲』『カトリックタイムス』『聖母の騎士』を中心にご紹介する。これらの雑誌は、南山大学図書館ならびにカトリック文庫創設に携わった司祭や関係者より寄贈された資料を基に収集されたものである。
聲
明治前半の日本ではカトリック関係の雑誌は、1881(明治14)年に東京浅草で発行された『公教萬報』と京都で発行された『聖教雑誌』が始まりのようである。その後、カトリック関係の教育施設が作られ、カトリック信者数が伸びて雑誌が多数出版されるようになったが、長続きしないものが多く、いまでも残っているのは『聲』(現在は休刊。1951(昭和26)年より『声』に字体変更)のみである。この雑誌は1891(明治24)年に京都で創刊され、教会内各信者の連絡、報道の機関誌としての役割を果たしていた。1899(明治32)年に東京の三才社に発行所を移し、1911(明治44)年に東京、長崎、大阪、函館の四教区公認の機関誌となる。その後は教友社、1929(昭和4)年に創設されたカトリック中央出版部で発行されることになった。
やがて戦時を迎え、1941(昭和16)年、宗教団体法により創設された日本天主公教出版社で発行が続けられた。しかし、戦況の悪化に伴い1944(昭和19)年12月から1946(昭和21)年3月までは休刊となったが、翌4月にカトリック中央出版社から復刊された。その後継続して発行されたが、残念ながら2002(平成14)年をもって休刊となっている。
本学の所蔵状況『聲』(Z/190/Ko22:No.47-1475, 1893-2002, 欠号あり) |
カトリックタイムス
『聲』とは異なり、一般布教のための雑誌として1921(大正10)年に公教青年会によって創刊されたのが『公教青年会会報』である。これは1923(大正12)年に『公教青年会時報』に改められ、同年5月より『カトリックタイムス』と改題した。やがてカトリック中央出版部に委譲され、誌名も1931(昭和6)年に『日本カトリック新聞』に改称した。その後『聲』と同様に日本天主公教出版社による発行が続けられたが、1945(昭和20)年2月より休刊となった。戦後1946(昭和21)年2月に『日本カトリック新聞』から『カトリック新聞』に名称を変更し、復刊した。1974(昭和49)年よりカトリック新聞社の発行となり、現在に至っている。
聖母の騎士
1930(昭和5)年4月、東方宣教のためコルベ神父らはポーランドから日本に渡る。上陸して1か月後に日本語による雑誌の編集発行を開始した。それが『無原罪の聖母の騎士』第1号である。コルベ神父がポーランドへ帰国した1936(昭和11)年頃には雑誌の発行部数は6万5千部に達していたという。コルベ神父が妻子ある囚人の身代わりとなってナチスの強制収容所で餓死室に送られた1941(昭和16)年、『聖母の騎士』(1936(昭和11)年に誌名変更)は国策により一旦廃刊となったが、1947(昭和22)年1月に復刊し、以降は聖母の騎士社(長崎)で発行が続けられている。コルベ神父は1982(昭和57)年に列聖され、現在に至るまでその名は語り継がれている。
参考文献
- 岩間潤子, 笹山達成, 牧野多完子. 明治期におけるカトリック逐次刊行物の流れについて
『南山大学図書館カトリック文庫通信:カトリコス』2002.11, No.17, p.5-10 - 今井和子, 今井麻里子, 石田昌久, 小林志保. 大正・昭和期におけるカトリック逐次刊行物の流れについて
『南山大学図書館カトリック文庫通信:カトリコス』2003.4, No.18, p.2-6 - 紅露剛, 近藤幹夫. 南山大学図書館が所蔵するキリスト教関係逐次刊行物について
『南山大学図書館カトリック文庫通信:カトリコス』2007.11, No.22, p.2-8 - 座談会「カトリック文庫20年の歩み』
『南山大学図書館カトリック文庫通信:カトリコス』2013.11, No.28, p.2-10